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  • 2007.10.05 Friday
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グイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」。

もうすぐ2006年も終わり。
年の瀬は何年経っても切ないな。



今日はベアトリーチェ・チェンチの話でもするとしよう。

1577年、ベアトリーチェはローマ貴族の中でも名家として知られるチェンチ一族の娘として生まれた―。

ベアトリーチェの父親フランチェスコ・チェンチは、若い女と見れば見境なく陵辱するというほど女癖の悪い男。極悪非道の限りを尽くしてローマにいられなくなり、山奥の村ペトレッラの城へ避難した。

フランチェスコは絶世の美女に成長したベアトリーチェを他の男が寄りつかないように城内に監禁し、時折現れては彼女を奴隷のように酷使した。
美しい娘の精神と肉体を痛めつけることに快楽を覚えたフランチェスコは、彼女が20歳になった時、快楽のはけ口を娘の体に求めた。

父親の絶望的な欲望から逃れるため、ベアトリーチェは父親の殺害を決意する。手を貸したのは彼女に同情した継母や家来たち。

殺害後、司直(現在の裁判官・検察官)の手に落ちたベアトリーチェは、激しい拷問に耐え切れずついに自白する(この点においては諸説あり、ベアトリーチェは幼い弟までもが拷問に掛けられる姿を見て罪を告白したという説もある)。

家長殺害は極刑に値する重罪だった。

ローマ市民はベアトリーチェに深く同情し、死刑に反対した。しかし、その前に立ちはだかったのはバチカンだった。
時の教皇クレメンス8世は、チェンチ家の領地と財産の没収を企み、一族全員の死刑を言い渡した。

ベアトリーチェは断頭の刑に処せられるため、髪をまとめて頭にターバンを巻かれた。
「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」は、処刑の直前、牢屋の中にいたベアトリーチェを、チェンチ家と縁のあった枢機卿がグイド・レーニに命じて描かせたと言われている。

当時グイド・レーニは23才。彼は群衆を描くことに長けていた。しかし彼は、処刑の場面も、怒るローマ市民も、残酷な刑を執行する男たちも描かなかった。レーニの筆は、ベアトリーチェの最後の生の瞬間を、永遠に捉えた。

1599年9月11日、サンタンジェロ橋の広場で、ベアトリーチェと一族の処刑は執行された。

広場に集まっていたローマ市民は怒りと興奮で騒ぎ出し、26名の死者と2000人を超える負傷者を出したと伝えられている。

次々と処刑されていくチェンチ家の人々。ついに最後の一人となったベアトリーチェ。
泣き叫ぶローマ市民の中を、ベアトリーチェは静かに断頭台へと歩みを進めた。
その途中、ベアトリーチェは一度だけローマ市民を振り返り、かすかに微笑んだと言われている。

断頭台へと辿り着いた彼女は自ら首を差し出した。
彼女の首に斧が振り下ろされた瞬間、ベアトリーチェ・チェンチはローマ市民に永遠に語り継がれる伝説となった―。

ローマを一望できる丘の上に建つサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会に、ベアトリーチェは今も眠っている。

「ローマを見渡せる丘の上に自分の墓を作って欲しい」それは、名前も墓碑銘も刻まない事を条件に、裁判官が聞き入れたベアトリーチェの最期の願いだった。

グイド・レーニ作「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」
少女は微笑を浮かべて振り返る。その瞳に、命を湛えて―。




あまりにも悲しい話。
年末にこんな暗い話をしてやった。ざまあみろ。

今日はベアトリーチェ・チェンチをイメージして曲を選んでみた。
ICOというゲームの主題歌「You were there
このゲームも、悲しい運命を背負った少女の物語なのでいいんじゃないかと。


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